NORIさんの
文字の旅人 第14回「DTPの勉強部屋」で思ったことで紹介していただきました。
お二人はどちらも美術の分野を経てからプログラマーの方面に進まれ,勤務先では責任のある 立場になられている方である。少し大げさな表現かもしれないが,科学と美術が融合する良い 意味の「混ざっている感覚」や,仕事の中での「広がり感」を持った,私の憧れの形,理想を 体現する方々である。私の考えるデザイナーというものは,一つこういう形がある
「混ざっている感覚」って不思議な表現。
実を言うと僕はプログラムではやはりまだまだなレベル。CとかC++とかJAVAとかはほとんど書けないし、AppleScriptやJavaScriptでもDOMをしっかり理解しているわけでもなく、用語辞書を見た後は適当にカンで、試行錯誤してスクリプトを書いています。
もともとデパートのデザイナーだったのですが、こういうのが好きだったみたいでのめりこんでしまい、こちらの道に進んでいます。そして、プログラマーが言うこととデザイナーが言うことのギャップ。そして双方の気持ちがわかります。
プログラマーは現場の声は通じないし、現場はプログラマーの人格無視の無茶に突き合わされます。自動組版ソフトを見ると、すごく良くできているのですがデザイナーが動かすソフトじゃないなーって思うのがたくさんあります。
ですので浅田さんの「自動組版はできない」という言葉の意味もよくわかります。そして僕はプログラムには「バランス」が大切と思っています。おたがい歩み寄る必要があるわけです。プログラムではデザイナーの犯すミスに寛容で、デザイナーはプログラムをちょっと意識してレイアウトする。使い方を調べる。考える。でも僕の考え方だと「自動組版」はもっと出来ません。でも、モノによってはそれでいいのです。手でなおせばいいのですから。
効率化効率化といって、自動組版を入れて、デザイナーはオペレーションではなくデザインに集中する。と良く言われていました。僕もそう思っていたのですが、本当にそうなっているのかなと思う事がよくあります。結局効率化するとデザインの値段が下がって、もっとたくさんの仕事をしなくてはいけない。そんな風になっている部分もあります。
大阪では「えむ」さんがオペレータの地位向上を考えて「大阪DTPの勉強部屋」を開催しています。「えむ」さんには会を通じて「パワー」をたくさん分けてもらい本当に感謝しています。オペレータの地位向上も良いのですが、僕はデザイナー、オペレータにも自分の地位を嘆く前にもっとがんばって勉強して欲しいとも思っています。もちろん勉強会に集る方々はかなり勉強されていると思いますが。
「混ざっている感覚」というと、昔、僕はデパートのデザイナー。文字詰めは当然で。写植職人さんのきれいな文字詰めにずいぶん助けられました。とにかく文字は詰める。文字の詰まっていないDTPはダメだなんて言われていましたし、QuarkXPress用の文字詰めツールを作ったのもこの頃です。ずいぶん文字詰めの研究もしました。今は書籍組版チームのマネージャーをさせていただいております。書籍組版というとベタ。いろいろな組版ルールがあってたいへんです。慣れるのにずいぶん時間がかかりました。僕は文字組版がきっちりできるレベルの人間ではないですが、「文字詰め」「ベタ」どちらの良いところも知りました。やっぱり文字は適材適所「バランス」だと思います。
話がばらばらになってしまいました。まぁたまにはこういう日記も。。。
> おたがい歩み寄る必要があるわけです。
実は、これは印刷会社内だけの話ではなくて、クライアント側にも言えることだったりします。私たちに発注する販促部と言うか広報部と言うか、それらの部署の人たちが彼らのデータを管理しているシステム部と反目し合っていても仕事がうまく進まないんですよね。向こう側のお互いの部署に対する要求を我々を通して対応させるような場面もありますから(^^;
身内の話はそちらでつけてくれよ、と言いたいのですが(笑)「自動組版」は技術だけの問題では解決できないです。
自動組版にするなら、自動組版に合わせたデザインをクライアントは選ばないといけないのです。自動化を得ると同時にデザインをある程度妥協する。
でも、それがクライアントもデザイナーもできない。なので自動組版はできない。
なぜ、ちょっとした妥協ができないのでしょうか?プロ意識?それとも説明不足?このあたりの問題がひとつ。
あと、価格も問題です。手動で融通のきく組版の値段が下がりきっているので、自動にしたところで価格はおそらく下げれません。
ではクライアントへのメリットはスピードと正確さ。ということになるのでしょうが、それが大きな武器になっていないような気がします。紙媒体の重要性が減ってとWEBのウェイトが大きくなっているのかもしれませんね。